Onijawa Bros Motorcycle Club Harley-davidson

Welcome to harley davidson shovel head 魔似亜


◆生産台数

1966年(FL2175 FLH5625)   1967年(FL2150 FLH5600)   1968年(FL1718 FLH5354)   1969年(FL1800 FLH5500)
1970年(FL1706 FLH5909)   1971年(FL1200 FLH5475)   1972年(FL1600 FLH8100)   1973年(FL1025 FLH7750)
1974年(FL791 FLH6476)   1975年(FL900 FLH8935)   1976年(FLH11891)   1977年(FLH9226)
1978年(FLH9406)   1979年(FLH11442)   1980年(FLH7512)   1981年(FLH6003)

◆フレームナンバー

5桁ナンバーは1970年〜1977年まで10000から始まり、1978年からは60000から始まります。
最後から2番目のアルファベットはHが70年代でJが80年代を表しています。

◆ある青年二人の物語

1959年、2人の青年がナックルヘッドとBSAでミネソタからロスを目指し、ルート66を走る大陸横断の旅に出ました。
当時2人の所持金は60ドル!食べる為にナックルを売り、ドラックレースの世界で常勝を重ねていきました。
そしてレースで得たノウハウをもとにハーレーの部品を作り、部品を売り始めました。
その部品の販売会社が、後のジャマーサイクル社です。さらに「宣伝用カタログ」、ということで二輪雑誌を始めました。
それがイージーライダース誌の始まりであります。
その2人の青年は、イージーライダース誌の創始者、ジョー・トレシーとジャマーサイクル社創始者のミル・ブレアーです。
2人はそれぞれの分野で全米屈指の成功を遂げ、ドラックレースから世界最高速度へと挑戦を重ねていきます。

1978年、ジャマー社でチューンニング(ショベルヘッドエンジン2機搭載)された
ハーレー(ストリームライナー)は、450km/hを出し世界一となりました。
その後、打倒KAWASAKIを目標にジョートレシーが、ジャマー社からストリームライナーを買い取りました。
同エンジンで89年、90年と挑戦を重ね、ついに90年に最高速度515km/h(322.150マイル/h)をたたき出し、
再び世界一となりました。

その後16年間、その記録は敗られませんでした。
90年当時は往路、復路を1時間以内に1回ずつ走り、その平均タイムを最高速度としていました。
現在はどちらか優れた方の計測タイムでいいとのことですが、それでも、この16年前の記録は破られませんでした。
しかも、今の挑戦者たちのエンジンは2基がけで、4,000ccや5,000ccにもなり
エンジンはハーレーダビッドソンの形はしていますが、ハーレーとは呼べない別物です。

世界最高速度を叩き出したこの車両のすごさは、1972年型のハーレーのエンジンケースを始め、
シリンダーヘッド、ロッカーカバー等、ハーレーダビッドソン純正をそのまま使用しているというところです。

ハーレーをこよなく愛した情熱と凄みを感じます。


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